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「稲」に生るのが「米」、「米」を炊くと「ご飯」、なんで全部呼び名が違うんでしょう。

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夏になると、食卓にとうもろこしが登場してきます。

茹でたり蒸したり焼いたり、どう調理しても美味しいですね。

では、ちょっと質問です。

木ではありませんが、草というにはちょっと違う感じなので木と呼びますが、とうもろこしは何の木になりますか?

とうもろこしの木、当たり前ですね。

では、かぼちゃやきゅうり、トマト、りんご、桃、梨、ぶどう、栗などはどうですか?

こちらも同じです。

また、そういった野菜や果実を煮たり焼いたりしたらなんて呼びますか?

こちらも当たり前、同じ名前です。

では、ちょっと考えてみてください。

米はどうですか?

こちらも木ではありませんが、「米の木」とは言いませんね。

米が生るのは「稲」、そこに実るのが「米」、そして米を炊いたら「ご飯」。

全部違います。

なぜ米だけそれぞれが違った呼び名で呼ばれているのでしょう。

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さまざまな行事に供えられる稲や米には神聖な力が。

そもそも日本で米作が始まったのは今から3000年以上前の縄文時代から。

そんなにも昔から作られていた米ですが、その米が生る植物をなぜ稲と呼ぶのかについては、様々な説があります。

まずひとつは神話の世界のお話。

天照大神が日本の国を作るときに、食料として天界から稲を持ち込んだとされているそうです。

そんな日本人の命の糧という意味から「命の根」と呼ばれ、その「いのちのね」が「いね」になったという説があります。

また、昔はお米のことを「飯」(いい)と言っていて、その根だから「飯根」(いいね)、それが「いね」になったという説。

大事な作物であったお米の苗ということから「愛しむ苗」(いつくしむなえ)からという説。

穂を刈り取った稲の藁を寝床などに使ったので「寝ね」(いね)と呼ばれたという説など、いくつもの説があります。

では、そんな稲の実でもある米はどうかというと、こちらにも様々な説があるのです。

ひとつめは、古代から食料として非常に大切な存在だった米には、なにか神聖な力が宿っている、籠められているという考えから「こめ」と呼ばれたという説。実際に、中になにかが入っているものを表す「殻」という漢字の読みには「こめ」というものがあり、神聖な力が中に入っているものとされていたようです。

様々な神事にお米が備えられるのも、なにかそういった考えが関係しているのかもしれません。

また、穀物なのどの小さい実を総称して「小実」(こみ)、「小目」(こめ)などと呼んでいて、それが「こめ」になったという説もあります。

どちらの説も定かではないようですが、ただ私的には、現代でもおめでたい行事とか、伝統的な行事、神聖な行事などには必ずお米が供えられているのを見ると、「稲」は「命の根」から、「米」は「神聖な力が籠められているから」という説を信じたい気がします。

では、そんな米を炊いたものをご飯というのは?

稲にできる実が米と呼ばれる理由は何となくわかりましたが、ではそれを炊くと「炊き米」とか「茹で米」ではなく「ご飯」になるのでしょうか。

そもそも、先に述べたように米は古代から食べられてきましたが、その食べ方は現代のものとは少し違っていたようです。

現代のように炊いた米を食べるのではなく、多めの水で米や雑穀、野草などを煮たおかゆのようなものだったそうです。

それが古墳時代に中国(漢)から「甑」(こしき=米を蒸すための土器)が伝わり、それで米を蒸すという調理法に変わっていきました。

そして、その甑で蒸された米のことを「飯」(いい)と呼んでいたのです。

それが、室町時代前期頃には「めし」と呼ばれるようになりました。

これは、「召上るもの」という意味の「召す」を語源とする言葉で、当時は食べ物一般をさす言葉だったようです。

それがいつ「ご飯」になったのか。

実は、「ご飯」と呼ばれるようになったのは江戸時代後期以降と言われています。

室町時代に「めし」と呼ばれていたものを、女性たちが「飯」の中国での読み方である「はん」に丁寧語の「御」をつけて「おばん」と呼んだのが最初だそうです。

それが江戸時代後期に「御飯」=「おばん」=「ごはん」という呼び方に変わっていったのです。

つまり、「ご飯」というのは「めし」の丁寧語だったのです。

たしかに、時代劇などを見ていると、「ごはん」ではなく「めし」と書かれた看板をよくみますね。

稲も米もご飯も、すべて畏怖と尊敬から生まれた言葉なのです。

その語源については様々な説がありましたが、縄文時代から私たちの主食であった米には、やはり神様に関係する神聖なものという意識から生まれたという由来が存在しています。

日本人にとって、お米というのは昔から大切な存在とされていたのです。

様々な行事やお祭りなどでお米や稲穂を供えるのは、それが神様と私たちを結ぶものとして意識されていたからなのですね。

ちなみに、英語だと稲も米もご飯も同じ「RICE」です。

米食ではない海外の人にとっては、すべて同じというわけです。

ちょっとがっかりですが。

毎日当たり前のように食べている米ですが、神聖な力が宿る日本人の心の食べ物として大切さを噛み締めていただきたくなりますね。

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