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花火はいつから、なぜ、夏の風物詩になったのでしょう。

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夏が近づいてくると、あちらこちらで花火大会開催の声が聞こえてきます。

楽しみにしている方も多いと思います。

私も花火が大好きで、近くの川原にビニールシートを敷いてビールを片手に花火を楽しんでいます。

と、ふと考えると花火イコール夏という公式が一般的です。

庭先などで楽しむ小さな手持ちの玩具花火も夏のイメージです。

夏の屋外は蚊が多いしむし暑いし、冬の方が空気も澄んでいて花火自体が綺麗に見えるような気がしませんか?

気候だって、冬は寒いけれど春や秋の方が過ごしやすいですよね。

夏の風物詩として一般的になった花火。

いったいなぜ夏の風物詩になったのでしょうか。

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花火は中国産まれのヨーロッパ育ち。

今では一年を通じておもちゃ屋さんなどで玩具花火が売られていますが、ひと昔前は夏の時期以外で花火を買おうと思うと一苦労したものです。

そんな花火ですが、日本起源と思いきや、実はその発祥は中国。

中国で火薬の原料である硝石が発見されたことから始まります。

つまり、花火の大元と言うべき火薬が作られたのが中国というわけなのです。

その火薬は花火としてではなく、のろしとして利用され、のちには武器に、そして爆竹へと利用されていくのです。

鑑賞用というより、戦い用だったというわけですね。

まぁ、たしかに今でも火薬というと武器のイメージがありますが。

その武器を作り出す原料として利用されていた火薬はヨーロッパへと伝わり、やはりしばらくの間は武器の原料とされていました。

それが14世紀の後半、イタリアのフィレンツェでキリスト教の祭りの際に、鑑賞用の花火が作られ、ヨーロッパに広がっていったのです。

最初は現在のようなスタイルではなく、どちらかというと火花を楽しむ、言って見れば玩具花火のようなものであったらしいのですが、16世紀のイギリスで花火は大きな進化を遂げ、現在のような大きな花を咲かせるスタイルになったとされています。

イギリスのヘンリー8世はそんな花火をいたく気に入り、テムズ川で水上花火を楽しんだ、などという記録も残っているそうです。

今の花火大会に近いですね。

日本に伝わって夏の風物詩になったわけ。

では、日本での花火のルーツはというと、一説によると室町時代と言われています。

しかし、こちらも花火というより、火薬を使わず炎自体を楽しむというものであったらしいです。

諸説ありますが、今のようなスタイルの花火を最初に楽しんだというのが徳川家康。

家康公を訪問したイギリス人が手筒花火のようなものを披露し、家康公がそれを気に入り大名の間に、ひいては一般庶民の間にも花火というものが広まっていったとされています。

その時代の花火といえば打ち上げ式のものではなく、手に持って火花が出るものやねずみ花火、線香花火などの玩具花火でした。

そんな世間に広まっていった花火が日本のお盆の習慣と結びついていったのです。

どう結びついたのか。

そもそもお盆というのは先祖の霊が現世に帰ってくる時期。

お盆の入りには先祖の霊をお迎えするための迎え火を、明けには先祖の霊を送り出す送り火を焚くものです。

このお盆が明ける日には家で焚く送り火だけではなく、ろうそくをつけた灯篭を川に流す灯篭流しや、有名なところでは京都の五山の送り火などの火を使った俗に言う「送り盆」の行事が各地で行われていました。

そんな中、庶民の間で広まった花火がこの「送り盆」の行事の1アイテムとして使われるようになったのです。

お盆と言えば旧暦の7月、新暦でいうと8月にあたります。

つまり、8月に行われていた行事なので花火は夏の風物詩、というイメージが定着したのだと思われます。

ちなみに、有名な隅田川の花火大会の起源も江戸時代。

こちらはお盆の行事ではなく、夏の風物詩として行われていた両国の川開きの行事のときに、時の将軍徳川吉宗が前年の大飢饉や疫病の厄を払うために、有名な「鍵屋」が考案した打ち上げ花火が使われた言われています。

これが現代まで続く隅田川の花火大会の起源なのです。

今まで玩具花火だけだった江戸の花火界に、初めて打ち上げ花火という花形が登場したのです。

そして、打ち上げ花火は川開きの行事として各地に広がり、いつしかお盆とも結びつき、夏場に川の近くで花火を打ち上げる「花火大会」というスタイルが一般的になったと言われています。

花火といえば何色ですか?

その当時といえば、電気もなく夜になれば街も河原も真っ暗。

そこに打ち上がる様々な色の花火は、さぞや綺麗だっただろうなと思われるかもしれません。

たしかに、現代のように電気もネオンもない夜の闇の中、打ち上がる花火は美しかったかもしれません。

ただ、その時代の花火はまさに「炎の色」そのもの。

炎に色をつけるという技術がなかったので、火薬を爆発させて文字通り「火の花」を空中に咲かせる、というだけのものでした。

それが、明治時代以降に海外から炎に色をつける薬品や技術が伝わり、その後研究を重ねることによって現代のような様々な色の花火が完成したのです。

ちなみに、現代のような様々な色のついた花火が最初に打ち上げられたのは明治22年とされています。

けっこう後のことですね。

そもそもの由来を知って冬も楽しみましょう。

中国からヨーロッパに渡り完成した花火。

そもそもはねずみ花火や線香花火といった、楽しむための玩具花火だったものが、打ち上げ花火ができ、それがお盆の送り火と結びついたり、大飢饉や疫病の役祓いとしての役割を担ったりと、単なる娯楽としてだけの花火ではなくなっていったのです。

そんなお盆や川開きといった夏の行事に結びついたという歴史から、花火は夏の風物詩という意識が生まれたのですね。

ちなみに、その高温や湿気を嫌うという製造方法から冬にしか製造しない花火があるようです。

「筒井時正 玩具花火」の「線香花火」。

夏は豪快な打ち上げ花火を楽しんで、冬になったら、こういう花火でしっとりと楽しんでみたいですね。

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