魔女狩りと聞いて何を思い出すでしょうか?
魔女とされた女性が処刑されたことでしょうか?
しかし、処刑されていたのは女性だけではありません。
男性も処刑されていたのです。
また、魔女狩りが行われていたのは中世のヨーロッパだけではありませんでした。
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目次
血塗られた歴史!魔女狩りってどう行われたの??
少しでも異端と思われた場合、魔女として裁判にかけられた
- 町や近郊の近くに住む女性で教養がない
- 友人の少ない人
- 占い師
- 精神障害者
- 告発されたものは有罪
- サバト(悪魔崇拝の集まり)
- 猫を飼っている
- カラスを召使としている(飼っている)
などの特徴を持った人が魔女裁判にかけられたと言われている
恐ろしい拷問
残酷な尋問により、魔女であることを自白させていました。
処刑としては火あぶりの刑で多くみられていました。
以下の内容の拷問などがあったとされています。
- 水に沈めて自白を強要
- 重い石で圧迫し強要
- 重い石を付けられ水に入れられ浮かべば魔女と判断し、浮かなければ無実とする
恐ろしい暗黒時代!魔女裁判ってどんなものだった??
民衆のパニックよる集団私刑
黒病(ペスト)の流行、悪天候など人間ではどうにもならないことを、
魔女の仕業だとし、少しでも変わった言動をしたり、
猫を飼っていたり、三角帽子を持っているなどすると、
魔女であると告発され、魔女裁判にかけられました。
本当は存在しなかった?大規模な魔女裁判!!
ラモト=ランゴンのつくった空想の産物とも言われています。
上記の様な恐ろしい拷問は実施されていなかった可能性もあります。
初めは裁判の手続きを通して行われ、
残忍な魔女狩りは行われていなかったとされています。
15世紀に入ってから魔女裁判の最盛期には
世俗法廷で行われることが大半となりました。
その結果、ドイツの一部の村では住民を代表して、
告発するだけでなく、証人を尋問したり
圧力をかけるなどして、魔女の迫害を推進して行きました。
補足
一説であるが、魔女裁判が広がった理由は時の権力者(教会も含む)が、
恐怖政治や国民のガス抜きのために行ったという見方もあります。
または魔女として裁かれたものの財産を教会が没収できるため、
魔女狩りが起こることを止めることもなく、
それが人々の暴走に拍車をかけたともいわれています。
もし、上記の内容が本当であれば、時の権力者・教会は、
市民の暴走を止めようとせず、裁かれた者の財産を手に入れることで
私腹を肥やしていたことになります。
それでは、民衆の不安はペストや恐怖政治に加え魔女裁判も追加されるため、
積極的でないにしても、魔女裁判が加速していくことは必至となります。
まとめ
血塗られた歴史!魔女狩りってどう行われたの??
少しでも異端と思われたら裁判にかけられていました。
町や村で異常な発言をしただけでも裁判にかけられることになりました。
占い師や猫を飼っているだけでも、裁判の対象とされていました。
恐ろしい拷問としては、水に何度も沈めて、自白するまで行われる拷問や、
日本でも近い拷問にあった、重い石で圧迫し、自白を強要するなどがあり、
重い石を付けられ浮かべば魔女と判断し、
浮かなければ無実とする拷問では、沈んだら水死となるのだから、
魔女と判定されてもされなくても死んでしまう結果となります。
恐ろしい暗黒時代!魔女裁判ってどんなものだった??
ペストや悪天候などの人間にはどうにもならないことが、
民衆のパニックを引き起こしました。
その緊張のガス抜きとして、魔女狩りが行われました。
これは私刑でありました。
今、イメージされるものはラモト=ランゴンと空想の産物ともいわれています。
一説には、大きな魔女狩りはなかった、
しっかりとした裁判が行われており、誰もが裁判で死刑となったわけではない。
と言われています。
魔女狩りが本当に行われていたのか、
行われていなかったのかはまだ解明されていないのです。
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