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新緑の季節なのに「目には青葉」、緑なのに青信号、いったい緑なの青なの?

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春になると木々の芽が膨らみ新しい葉をつけ始めます。

「新緑の季節」という清々しい言葉が似合う季節ですね。

鰹好きの私としては、その季節になると思い出すのが江戸時代の俳人・山口素堂が詠んだ「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」という俳句です。

目には鮮やかな新緑、耳には美しいほととぎすの鳴き声、口には美味しい初鰹と、視覚、聴覚、味覚で春から初夏にかけての旬のものを詠んだ有名な俳句です。

江戸時代から現代まで、粋とされている旬のものですね。

でも、あれ? と思いませんか?

春から初夏にかけての新緑の季節なのに、目に映るのは「青葉」と詠まれています。

緑なのに青。

考えてみると、青葉の他にも緑なのに青と呼ばれているものって身の回りに多くありませんか?

青菜、青汁、青唐辛子、青リンゴ、青ネギ、青虫、青信号・・・みんな緑色なのに「青」です。

なんか変だと思いませんか?

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実は日本古来の表現が語源。もともとは色ではなく光を表す言葉でした。

日本の古代語には色を表現するための言葉は4つしか存在していなかったようです。

それは「赤」「青」「白」「黒」の4つだけ。

「赤」は明暗を表す「明」(あか)が語源で、夜明けの明るさを表現したもの。つまり、赤やオレンジ色、黄色などの暖色系の色を表した言葉です。

「青」には様々な説があって、「淡」(あわ)から転成し目立ちにくい色を表すという説や、白馬と書いて「あおうま」と読むように、純白ではない白、つまり灰色を表していたという説がありますが、どちらにしても淡くくすみ気味の寒色系の色を表す言葉。

「白」は光の顕著さを表す「しるし」が語源で、明るくはっきりとした様を表す言葉。

「黒」は光がない「暗」(くら)からの言葉。

つまり、古代語では色という観念ではなく、どちらかというと「光」「明るさ」といった観念から発生した言葉なのです。

ちなみに、光としての言い方で表すと、赤は「明」(明るい)、青は「漠」(ばく=少し暗い)白は「顕」(顕著に明るい)、黒は「暗」(くらい)から発展したものだともされています。

なので、すべての色を光の観念からの4種類の呼び方で表現するという実に曖昧な分け方しかなかったのです。

古代語の「緑」は色ではありません。寒色系はみんな「青」。

そんな曖昧な呼び方だったので、紫や紺色なども「青」、当然のように木の葉でも虫でも緑色のものはすべて「青」と呼ばれていました。

「緑」という言葉が色を表す言葉として使われるようになったのは、少し後のこと。

平安時代から鎌倉時代前期と言われています。

そもそも、「緑」は色を表す言葉ではなく「新鮮で若々しくつややかなもの」を表した言葉で、「新芽」「若芽」を意味する言葉でした。

語源は「瑞々し」(みずみずし)と言われていることからもそれがわかります。

そのように新芽や若芽の呼び名が「緑」だったことから、その色がそのまま「緑」という色で呼ばれるようになったものの、昔からの「青」という呼び方はそのまま残ってしまったのです。

つまり、緑色とはわかっているものの習慣化してしまっていた「青葉」という呼び名は変わらなかったというわけです。

青菜や青汁、青唐辛子、青リンゴ、青ネギなども、「青」という呼び名が残った言葉なのです。

「青」にはもうひとつの意味が。「青いなぁ」って言われたことありませんか?

あまりいい表現ではありませんが、たまに「青二才」とか「青いなぁ」という言葉を耳にします。

「若い」とか「未熟」といった意味で使われている言葉ですね。

そこに使われているのも「青」という色です。

一説によると、江戸時代に武士が元服を迎えるとき、髷を結うために前髪を剃りあげた部分の呼び名である「さかやき」からきていると言われています。

剃ったばかりだと、まだ剃りあとが青々してしたので、「若い」とか「未熟」といった意味で「青」が使われたのです。

つまり、こういった意味で使われる「青」というのは色であり、「若い」「未熟」などを表す接頭語にもなっているのです。

だとしたら、リンゴ、唐辛子などは熟して赤くなる前は緑色なので、それを「若い」という意味での接頭語の「青」をつけて青リンゴ、青唐辛子などと呼んだのかもしれませんね。

「緑なのに青信号」も同じ?でも信号はそんなに昔からはありませんよね。

緑なのに青葉というのと同じく、信号機の「進め」も緑なのに「青信号」と呼びますよね。

これも同じ意味かというとそうではありません。

緑のものを「青」と表現していたのは古代からの習慣であって、初めて日本で道路信号機が採用されたのは昭和5年(1930年)のこと。

もう「緑」という色の観念は確立されていた時代です。

ただ、このとき最初に制定された法令には「緑色信号」と書かれていたのです。

信号機は海外から導入されたもので、海外では「GREEN LIGHT」と呼ばれていたのでそうなったというわけです。

実際に、当時の青信号には青色のガラスが使われ、中の電球は白熱球でしたので、当然のように光は緑色になり、文字通り「緑色信号」で正しかったわけです。

では、なぜ青信号と呼ばれるようになったのか?

これには様々な説があるのです。

まず、昭和5年、日比谷交差点に設置された日本初の信号機を取材した新聞記者が「青信号」と書いた、という説。

「止まれ」の対比の「進め」は「赤」の対比色の「青」を使ったという説。

色の三原色(光の三原色は違いますが)が「赤」「黄」「青」だからという説、など、いろいろなものがあります。

ただ、いずれにせよ、「緑」を「青」と呼んでいた日本人にとっては緑色の信号を「青信号」と呼んでも全く違和感なく受け入れられたというわけです。

先に、同じ意味ではないと書きましたが、根本的には一緒なのかもしれませんね。

「青」と「緑」、日本人にとってはいつまでも一緒なのかもしれません。

最近ではLEDの発達などにより、信号機はできるだけ「青」に近づかせているようですが、青葉や青菜、青汁などは「青」のままです。

緑葉、緑菜、緑汁と呼びましょう、という声も全く聞こえてはきません。

やはり、私たち日本人が先祖から受け継いできた伝統的な感覚は変わらないものなのですね。

「碧」という漢字の読みも「あお」と「みどり」というのがあるぐらいですから。

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