3月ともなればあちらこちらから桜の開花のたよりが聞かれるようになってきます。
同じ花でも、他の花の開花宣言は聞いたことがないし、梅見や菊見というのはたまに耳にしますが、菜の花見などという言葉はほとんど聞いたことがありません。
それどころか、他の花を見に行くときには「花見」という言葉は決して使いません。
「花見」という言葉は桜のためだけに存在している言葉なのです。
それに花見につきものなのが大宴会。
人々は桜の下に集い、酒を酌み交わし、楽しい時間を過ごします。
梅にしても菜の花にしても菊にしても美しい花なのに、どうしてそこまで桜がもてはやされ、さぁ花見だ、という一大行事になっているのでしょうか?
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目次
まずはお花見の由来から。
いつから桜見は花見になったのでしょう。
日本で花見といえば桜に限ったものです。
梅見とか菊見という言葉は聞きますが、桜見とはいいませんよね。
花見という言葉は奈良時代からあることばで、そんな昔から日本人は花を見て楽しむという習慣があったわけです。
ただ、この時代の花見の花というのは梅のこと。
厄除けの力があると言われている梅を見て災いを避けるという、どちらかというと神事に近いものだったとされています。
寺社に梅が多く植えられていたり、梅園を持って いたりするのもその厄除けの力の所以です。
それが平安時代になって、花見の対象が梅から桜に変化したようです。
一説では平安前期に在位した嵯峨天皇が大の桜好きで、何度となく桜の献上を受け、宮中に植えたその花を見る宴を催したことが起源とされています。
公家から武士へ、お花見が変化する。
公家は歌を武士は酒を、そして庶民へ。
宴と言っても、現代のような宴会ではなく、桜を愛でながら歌を詠むといったものでありました。
それが鎌倉時代に入り、平安貴族の宴であった花見が公家の社会に憧れを持っていた武士の社会にも広まります。
そうなると武士の社会では宴のつきものといえばお酒。
その頃から花見にお酒はつきものという風潮が生まれたようです。
中でも文禄3年、豊臣秀吉の治世に吉野山で行われた「吉野の花見」はつとに有名な大宴会です。
そのとき秀吉が吉野山に引き連れたのは5000人。
5日間にもおよぶ宴は歌や能、仮装など、盛大な宴会が催されたということです。
現代のニュースなどで見る上野公園などの「花見」の景色そのものだったのでしょうね。
その後も花見の宴は各所で行われ、そんな宴会が庶民の間にも浸透していきます。
このへんから桜を見ながらお酒を飲んで騒ぐ、というお花見スタイルが完成したというわけです。
一斉に咲いて一斉に散りゆく桜、
そのイメージは?
平安から現代まで、変わらずに桜の下で宴が催されてきました。
では桜という花はなぜそんなに日本人を魅了してきたのでしょうか?
桜には様々なイメージがあります。
春になると一斉に咲き乱れ、その美しさを競い、あっという間に散っていく桜の花には独特の「儚さ」があります。
公家たちにとって、その美しさと儚さは平安の時代によしとされた控えめな女性に通じるものを感じ、イメージを重ねることで惹かれていったのではないでしょうか。
愛しい女性と桜を詠んだ歌も多く見られます。
武士たちはどうでしょう。
そんな「儚い」桜をどう見たのでしょう。
もしかすると、武士の時代ではその「儚さ」に「潔さ」を重ね合わせていたのかもしれません。
潔さをよしとする武士の世界では、そんな理由もあったのではないでしょうか?
あくまでも両方とも憶測ですが。
ただ、一斉に咲く桜の美しさは貴族も武士も庶民にとっても、この世の花とは思えないほどでした。
そんな美しい花の下に集うのはごく自然のことだったのかもしれません。
なぜ桜に特別な感情を抱くのか?
その原因は実は桜自体に秘密が。
すべての人が桜の美しさに魅了されることはわかりましたが、実は桜の花自体にも人を魅了する秘密があるのです。
エンドルフィンという言葉を知っていますか?
人間が幸福感を感じた時に脳内に分泌される物質です。
「脳内麻薬」ともいわれ、人間に鎮静効果と幸福感をもたらしてくれる物質として有名ですね。
実は、桜の花の花粉にはこのエンドルフィンという物質が含まれているのです。
桜の下では自然と花粉が舞っているはずです。
その下にいれば花粉を吸い込むことになります。
つまり、幸福物質エンドルフィンを吸い込んでいることに他ならないのです。
桜を見ていると、花見をしていると楽しくて幸せな気分になる、楽しくて踊りだしたくなる、というのはなにもお酒のせいだけではなく、桜自体に備わった素晴らしい性質からだったのです。
その儚げな美しさで人を惹きつけ、エンドルフィンで人を虜にする。
長い年月の間、桜はそうやって人を魅了し続けてきたのです。
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