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重松清『十字架』あなたの背負う十字架は何か

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重松清『十字架』あなたの背負う十字架は何か

人をイジメた経験はあるだろうか。イジメられた経験はあるだろうか。

イジメなんてしたことない、自分ではそうは思っても、人の捉え方に過ぎないので正直、私は自信が無い。どの言葉が人を闇に突き落とすか分からないし、知らず知らずに傷付けていないと言い切れない。けれど、そんな曖昧なものではなく、明らかな悪意を持って人に接する人は、この世に確かに存在している。

とくに子供のイジメは残酷である。私は小学校の時に机の上に、菊の花を置かれたことがあるが、大人になった今となっては、よく考えたものだなとあの頃の誰かに拍手を贈りたいほど。今思い返せば子供の頃は、もちろん今よりもずっと視野が狭く、みんな必死だったんだろうと思う。とくに女子は、子供も大人も関係が無いのかもしれない。

この世の中、イジメが当たり前になり、何がイジメで何がイジメじゃないかも曖昧になってしまっている。人との関わりも、昔よりどこか薄い気がしてしまう。

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本日紹介するのは「イジメ」がテーマのおはなし

私なんかが紹介するのは恐れ多いほど、有名な一冊。映像化もされ、重松清の代表作と言っても過言ではない、この「十字架」

読んだり、見たり、聞いたりしたことのある人も多いかもしれない。私はこの本を読むことで、自分さえも何かを背負わされたような気になった。

いじめを止めなかった。ただ見ているだけだった。それは、「罪」なのですか――?
自ら命を絶った少年。のこされた人々の魂の彷徨を描く長編小説。

いじめを苦に自殺したあいつの遺書には、僕の名前が書かれていた。あいつは僕のことを「親友」と呼んでくれた。でも僕は、クラスのいじめをただ黙って見ていただけだったのだ。あいつはどんな思いで命を絶ったのだろう。そして、のこされた家族は、僕のことをゆるしてくれるだろうか。(あらすじ引用)

どの立場に自分を置き換えて読んでも辛かった。例えば、自殺した少年でも、その被害者の母親でも父親でも、親友でも、加害者でも、クラスメイトでも。でも、貴方だって、そのうちのどれかにならないとは、限らない。いや、もう確実に、このうちのどれかにはなっている。知らない、気がついてない人も多いかもしれないが、そのくらいにイジメはありふれ、「無い」なんてことが「無い」からだ。

よくあるイジメの本は、イジメって良くないよね辞めようね、というのを何百というページにのせて物語にして形にする分かりやすいものだ。けど、この「十字架」は違う。読み終えた時に、戸惑う、まるで自分がこの物語から出てきてしまったような錯覚を覚える。どの言葉を形容しても、うまく表現できる気がしない。どんな言葉を持っても、薄く、軽く、バカバカしい。

よく聞く、「自殺するくらいなら学校を辞めれば 行かなければいい」というのは、それはやっぱりイジメを受けている当人でないから言える、考えられることなのではないか。学生時代、学校は自分の世界であった私なんかは、本当に「死ぬか生きるか」だった。今思えば、些細なことも、あの頃の自分にとっては大きい問題であった。他者からしたら、どうってことないことでも、当人からすれば世界を揺るがすほどの悩みというのはある。

作中での、被害者の彼は亡くなって写真の中で時が止まったままなのに、被害者の家族は老いてく描写が、たまらなかった。

誰かの言葉や行動に縛られて、いのちを落としたとしても、その誰かの時は流れて動いていく。

軽々しく、自殺なんてするなよとも思えず言えず、大丈夫だよとも思えず言えず、自分のちっぽけさが浮き彫りになる。そして、いつの間にか十字架に張り付けにされていた。人との関わりを、浴びせた言葉を、行動を思い返せと言われているようだった。



chiyoda

書くこと、読むこと、そして考えることを、こよなく愛しております。

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