反抗期に誰しも一度は、親を鬱陶しく思うのではないか。
言い合いをしたり、逆に口もきかなかったり、顔すら見たくないときも。
だけどそれって、そこに存在しているから、生きているから、ムカついたり分かり合えなかったりする。
親がいなけりゃ何も出来ない。言い合うことも、ムカつくことも、何もだ。
私も、親に反抗した記憶がある。反抗した記憶しかないかもしれないってほど。生意気だった私は言っちゃいけない言葉を何度も吐いたと思う。
そして親が亡くなったときに、どうしようもなく後悔をした。後悔というのは、とめどない。あのときああすれば良かった、こうすれば良かった、あの言葉は間違っていた、こういう時どうするんだろう、貴方ならなんて言ってくれただろう、、、と繰り返す。どんなに月日が経とうとも、癒えない。
劇団ひとりの『青天の霹靂』は、親子愛がテーマ。
とにかく、温かいけれど、自分自身とリンクする場面が多く共感が多かった。本書は劇団ひとりが書いたものだけれど、劇団ひとりが書いたものだという先入観を取っ払って読んでみてほしい。
言い方に語弊があるかもしれないが、この作品を読んで私は、劇団ひとりが芸人であることが勿体ないと思ってしまった。
芸人も立派な職業だが、彼は確実に作家や脚本家に向いているし、彼の頭の中で作られる物語は、私達が想像する以上に人々に感動を与えられる。
いくつか劇団ひとりの作品を読んでいるが、群を抜いて、この’青天の霹靂’がおもしろいと言える。
驚くほどにページが薄く、読書慣れしていない人でも二時間あれば余裕で読み切れてしまう薄さなのに、胸に迫る熱い何かに驚く。
確かに、ありがちなパターンではある内容ではある。が、そんなことを考える隙を与えない。
39歳の売れないマジシャンの晴夫は、母に捨てられ、父とは絶縁状態。ある日、父の訃報を聞いて絶望した晴夫は、気がつくと40年前の浅草にタイムスリップしていた。そこで若き日の父・正太郎と母・悦子と出会い、スプーン曲げのマジックで人気マジシャンになった晴夫は、父とコンビを組むことになる。(あらすじ引用)
自分がこの世にいる理由は一体なんだろう?途方も無い問いだ。
なぜ生まれて、なぜ死ぬ。生まれては死んでバカみたいだなぁ、そんなことを思ったこともある。生まれなけりゃ、こんな思いせず済んだのになぁ、なんて、生まれたことを悔いたりもしたことがある。
そもそも、生まれるってなに?子孫繁栄をし続けた未来に何があるの?何のために私たち命を紡いでいるの?…あぁ、また、話が脱線した。
とにかく、自分が生まれた意味くらい知っておきたい。親は何で自分を産んだ?そこに至るまで、どんな気持ちがあった?
晴夫は、投げやりな生き方をしながらも親の訃報によって、自分自身と向き合う。
生きる理由を捨てた人間が、自分が生まれた意味に直面したとき、一体どれほどの衝撃を受けるだろうか。
この作品で、自分の生まれた意味に気づいたシーンは涙無くして読めない。
無償の愛とよく言うが、あれはきっと親から子への愛では無く、子から親への愛なのではないかと思う。
子供にとって親は世界であり、これは宗教的な言い方になってしまうが、自分を創造した神でもあると言えるのではないか。言わば、世界だ。
読後感が素晴らしい!
この本には、光があり希望があった。どうしようもない奴だからこそ、語れる、紡げる物語だ。
ありえない設定の中に、説得力があり、愛がある。
思いやりの概念や、愛への信念が無ければ、この物語は書けないだろうなと思う。
私自身が親がいないからか、ただ涙脆いからかは分からないが、とにかく私は泣けてしまった。そして、ものすごく救われたような気になった。
ところどころに散りばめられた、笑いさえも愛おしい。
この温かさを、是非、貴方にも。
映画版予告
https://www.youtube.com/watch?v=rfTU6C9u_sc

コメント
コメントはありません。