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辻村深月『ぼくのメジャースプーン』私の復讐心を鎮火させた1冊

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辻村深月『ぼくのメジャースプーン』私の復讐心を鎮火させた1冊

高校時代、私はとても頑張り屋でした。自分で言えちゃうくらい、バカ真面目で、勉強が大好きで、学ぶことが大好きで。

そんな私を、目障りだと感じる人も少なくなかった。だけど、先生たちから期待されたおかげもあって、推薦で生徒会長になることが出来ました。生徒会長になり、いざ頑張ろうとしたときに、同じクラスで生徒会長を狙っていた男の子から、いきなり殴られてしまったのです。

もしかしたら、何か前後の会話があったのかもしれない。だけど、今の私には思い出せない。気がついたら、目の前は床だった。叩きつけられ、首も絞められ、「なんでお前なんだよ」と揺さぶられ、次に見たものは病院の天井だった。

あまりの恐怖。男には勝てないと身をもって知った。そして同時に、芽生えたのは復讐心。

そんなときに、なんの事前情報もなく本屋で手に取った小説は奇しくも「復讐」をテーマにした、この本でした。

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ぼくのメジャースプーン/辻村深月

ぼくらを襲った事件はテレビのニュースよりもっとずっとどうしようもなくひどかった――。ある日、学校で起きた陰惨な事件。ぼくの幼なじみ、ふみちゃんはショックのあまり心を閉ざし、言葉を失った。彼女のため、犯人に対してぼくだけにできることがある。チャンスは本当に1度だけ。これはぼくの闘いだ。(あらすじ引用)

この本は、消してスラスラ読めるタイプの小説ではない。見た目も分厚く重いので、まず読書初心者は手に取りにくい。私が手に取った理由も、表紙が綺麗だったからという理由と、タイトルが気になったからだった。

その時急いでたせいもあるが、あらすじも中も見ずに、レジに持っていった。この本との出会いは、私を大きく変えることになる。

物語は、ぼくの視点から始まる。

物語の始めは、まだ、「ぼく」君の物語なんだなぁというような感情を持つ。だが、「ぼく」が私、貴方自身になるまでに時間はかからない。

「ぼく」は、不思議な力を持っている。ジャンルでいうと少しSFちっくかもしれないような力だ。その力を使って、彼は復讐を試みるが、使い方や力のさじ加減が分からない。それを、その道の先生から、ひとつひとつ学んでいく。そもそも、彼が復讐したい相手って??

多少のネタバレが含まれるが、それでも構わない方は進んでほしい。

ぼくが好きな、ふみちゃんは動物が大好きだった。飼育係をして、毎日、みんなが登校するよりも早く来て動物たちの世話をしている。その動物の、うさぎが一匹足が不自由になる。ふみちゃんはママと補助器を手作りして、うさぎに取り付けると、とても歩きやすそうだった。

そのことが巷で話題になり、学校にテレビ局が取材に来るという。クラスで、テレビに出たいと声を上げたのはクラスで一番可愛らしい女の子。ふみちゃんは、地味で、おとなしい子だから、何も言わずにいたのだった。

テレビ局が来て取材が始まると、可愛らしい女の子はさも自分が補助器を作ったかのように言い振舞う。「ぼく」はあまりいい気がしない。

放送された反響は大きく、それは悪い方面にも影響が出た。テレビを見た男が、歪んだ感情を持って学校に侵入する。そして、うさぎをバラバラにしたのだった。あの可愛い女の子が、この状況を見てどんな顔をするのかワクワクしながら待っていると、そこに現われたのは、ふみちゃんだった。

ふみちゃんを見て、男は言った。「萌えねぇ。」

ふみちゃんは、バラバラになったうさぎをかき集め、職員室まで走って助けを呼んだ。ふみちゃんの口から声が出る最後の言葉だった。

「ぼく」は、ふみちゃんを苦しめたあいつをこらしめようと自分の力を使うことを決意する。

多くの名言と、私なりの思い。

「動物には心があると思いますか」(文庫P247)

作中に、こんな言葉がある。

どうして、蚊は当たり前のように殺しているのに人は駄目なのか、豚を食べるのに何故犬は食べないのか。牛は??じゃあカエルは??猫はなんで殺せないの??

もし、いつか、自分の子供に聞かれたらなんて答えようか。どの回答も、自信を持って言えるとは思えず、考え込んでしまう。正解が無い問いは果てしないことを、この作品を通して知る。

「相手が反省さえしているなら、されたことを我慢できますか」(文庫P291)

この本を読んでいた時期が時期で、あまりに自分とリンクしてしまい、自分に問いかけられているような感覚になった。「反省」とは何だろうか。暴力を受けた、あの時、身体にある無数の赤や紫のアザや傷が薄くなるほどに、私は悲しかったのだ。「待ってほしい、心の傷は全然癒えてないのに、消えないで欲しい」そう願った。おかしいだろうか。きっと、おかしかったのだろうなとも思うが。

傷が完全に消えると、学校の先生たちは全て終わったかのような物言いだった。癒えるどころか、深く心に刻まれるようだった。

「謝罪」とは、何だろうか。謝って楽になりたいだけじゃないだろうか。「反省」とは、何をもって「反省」というのだろうか、あれから何年経った今でも答えが出ていない。

「人間って、絶対に他人のために泣いたりできないんだって。」(文庫P82)

誰かが死んだ、涙が出た。それは、その人がいなくなってしまった自分が可哀想だから出てる涙なんだと、この物語の中で言う。どこまでも人間は自分史上主義というか、なんというか。本当だろうか??本当かもしれない。でも。いろんな思いが回るようだった。

あの時、私が暴力を受けたあの時。多くの人がいた。薄くなる視界で、まるで観客のように見えた。「三年間共にして、誰も止めないの」という思いと、「見ないでくれ」という思いが混ざった。あの時、怖かったんだろうか、みんな、自分のことだけを考えていたのだろうか。自分も巻き添いになるかもしれないと思ったのだろうか。友達って何だろうか。

最後に

私の復讐心は、炎のように燃えていた。見て見ぬふりした奴らも、暴力したあいつも、なかったことにしようとする先生たちも、そして、弱い自分にさえも。

その復讐心を、この本を読み終えたとき、私は自分の涙で鎮火したと思っている。

本を開けば、あの時に連れ戻される。いろんなことを思い出す。それは、悪いことでも無いなと今になっては思える。

人間の冷たさと、温かさが沁みるような一冊だった。何度も自分と重なって、読むのをやめてしまおうかと思った。突きつけてくる言葉も、鋭いものが多かった。その分、読了したときの波が凄まじかったのだ。思わず「ありがとう」と抱きしめたくなるような。

哲学書とも言える、この作品は、読み終えてじっと色んな思いに耽ってしまうだろう。この作品は、ものすごく力のある作品だ。著者の伝えたい、命って重いの??軽いの??復讐する権利ってあるの??という問いかけが、攻めてくる。生ぬるい話じゃないからこそ、読み終わって襲う感動の波が大きい。

私を変えた一冊は、貴方のことも変えてくれるだろうか。

読み終えて一ミリも変わりがない、そんな本なんて存在しないと私は思っている。この本はきっと貴方のどこかを大きく変えてくれるだろう。そして、貴方は願う。「ぼく」と再び会うことを、ふみちゃんの声を聞くことを。

そして、その願いを辻村深月は叶えてくれる。

この著者の作品は、繋がっているものが多く存在するのだ。こんなところに!?という発見が感動に繋がるので、言及はしないでおく。より多くの人が、辻村深月に魅了されることを祈る。

chiyoda

書くこと、読むこと、そして考えることを、こよなく愛しております。

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